歩み・歴史

西暦年(年号) 【神戸松蔭の歩みと歴史的背景事項】 【日本および神戸市の代表的な歴史事項】
1701年
(元禄14年)
  英国国教会(聖公会)にSPG(英国福音伝道協会、現USPG)が設立され、英国外での活動を開始。
1868年
(明治元年)
  明治維新、神戸が開港する。安政五カ国条約に基づき神戸に外国人居留地が設置される。
1873年
(明治6年)
  2月、日本政府がキリスト教禁令を解く。
9月、SPG宣教師が日本で伝道を開始。
1876年
(明治9年)
  SPGの宣教師H.J.フォスとF.B.プラマーが神戸に着任、伝道開始。
1879年
(明治12年)
  大阪市西区の川口外国人居留地に永生女学校(後のプール学院)が設立される。
1881年
(明治14年)
  聖ミカエル教会 創設。
1887年
(明治20年)
  日本で伝道活動をすすめていた聖公会3団体(SPG,CMS、米国聖公会)により日本聖公会を設立。
1888年
(明治21年)

四ノ宮神社の南(現聖ミカエル教会の地)にフォス邸完成。

12月、SPGレイディーズ・アソシエーションの宣教師H.M.バーケンヘッド、神戸に着任。 女子寄宿学校開設に向け準備開始。

CMS(英国の伝道団体)のビカーステス在日主教、神戸に女子ミッションスクール創設の重要性を説く手紙を同アソシエーションに送付。

山陽鉄道会社 設立。
1889年
(明治22年)
  東海道線神戸-東京間 全通。
1890年
(明治23年)
  10月、教育勅語発布。キリスト教排撃の風潮高まる。
大阪に高等英学校(後の桃山学院)が設立される。
1891年
(明治24年)

フォス、女学校設立委員会を発足。

7月、バーケンヘッド、山本通1丁目10番(現中央区北野町1丁目)の元三田藩主九鬼家所有の家を借り、学校開設の準備に当たる。

初代校長ハナ・マリア 2月、聖ミカエル教会焼失。
1892年
(明治25年)

1月8日「松蔭女学校」創立、1月12日開校式。責任者フォス、初代校長バーケンヘッド。

10月、中山手通6丁目4番地に校地移転。

 
1893年
(明治26年)
1月、第2代校長K.M.モーラ就任。 神戸電話交換局 開設。
1894年
(明治27年)
  日清戦争
1896年
(明治29年)
11月、第3代校長L.J.オーヴァンズ就任。  
1898年
(明治31年)
  神戸新聞 創刊。
1899年
(明治32年)
12月、私立学校令により各種学校として松蔭女学校設立認可。 外国人居留地 返還(約30年間外国人自治区となっていた)。
1901年
(明治34年)
12月、第4代校長G.E.リーダー就任。 山陽鉄道神戸-下関間 開通。
1902年
(明治35年)
同窓会設立。初代会長フォス夫人(元校長オーヴァンズ)就任。 兵庫県庁舎(現兵庫県公館)竣工。
1903年
(明治36年)
  3番目の校舎 日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」完成。
1904年
(明治37年)
4月、第5代校長A.パーカー就任。
12月、第6代校長M.A.スノーデン就任。
日露戦争
1905年
(明治38年)
校章制定 阪神電鉄株式会社が大阪出入橋-神戸三宮間の運転を開始。
1906年
(明治39年)
9月17日、中山手通6丁目91番地に校地移転完了、落成式挙行。以後、現在に至るまでこの日が創立記念日とされる。 山陽鉄道 国有化(山陽線)。
1907年
(明治40年)
4月、第7代校長M.サービス就任。 裁縫科の授業 神戸港の築港着工する(1922年完成)。
現在の神戸市章を制定。
1910年
(明治43年)
ロンドンでの日英博覧会に松蔭生のなぎなた実習写真出品。 兵庫電気軌道(現山陽電鉄)、兵庫-須磨間 開通。
神戸電気鉄道(のちの神戸市電)、兵庫-春日野道間 開通。
1911年
(明治44年)

4月、第8代校長E.M.ヒュース就任。

5月、専門学校入学者検定規定第8条第1号による文部省指定女学校認可。

 
1915年
(大正4年)
3月、私立松蔭高等女学校設立認可。松蔭女学校廃止。  
1917年
(大正6年)
  兵庫電気軌道、塩屋-明石間を延長。
1921年
(大正10年)
6月、第9代校長 浅野勇就任。同窓会名を「千と勢会」と決定。  
1922年
(大正11年)
3月、財団法人私立松蔭高等女学校の設立認可。初代理事長にフォス就任。  

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西暦年(年号) 【神戸松蔭の歩みと歴史的背景事項】 【日本および神戸市の代表的な歴史事項】
1923年
(大正12年)
  関東大震災
聖公会神戸地方部(1941年より神戸教区)設置。
1925年
(大正14年)

制服制定。6月から夏服、10月から冬服の着用開始。

12月、バジル・シンプソン神戸地方部主教就任、第2代理事長就任。

 
1928年
(昭和3年)
  阪神急行電鉄(現阪急電鉄)、大阪-神戸間 営業開始。
1929年
(昭和4年)
5月21日、英国第3皇子グロスター公殿下を迎えて新校舎(青谷)定礎。  
1930年
(昭和5年)
1月9日、青谷新校舎(本館)落成式。
4月、修業年限1年の松蔭高等女学校専攻科設置(~1945年)。
小磯良平・田村孝之介、松蔭の洋画同好会の指導に参加。
神戸市営バス運行開始。
1931年
(昭和6年)
  神戸市区制 実施。
1933年
(昭和8年)
  第1回神戸みなと祭り(神戸まつり)初開催。
1934年
(昭和9年)

3月、東館が完成。

 
1936年
(昭和11年)
  阪神電鉄、三宮-神戸間の地下線の営業開始。
1937年
(昭和12年)
6月、校地内のSPGへの寄贈地にチャペル完成。
9月、プール新設、開場式。
諏訪山動物園オープン。後の神戸市立王子動物園(1951年(昭和26)灘区へ移転)。
7月、日中戦争 勃発。
1938年
(昭和13年)

7月、阪神大水害で生徒2名死亡。
避難者200名を収容保護。

阪神大水害発生する。
1939年
(昭和14年)

3月、校歌制定。作曲者山田耕筰を招いて校歌発表会を開催。
5月、新潟県名香山村(現中頚城郡妙高高原村新赤倉)に寮を開設。

神戸市の人口が100万人を突破。
1940年
(昭和15年)
9月、八代斌助第3代理事長就任。
同月、キリスト教教育中止を決定。
 
1941年
(昭和16年)
2月、「青少年学徒食糧飼料増産運動実施」通達。
3月、寄宿舎閉鎖。奉安殿完成。統一服着用開始。
チャペル撤去。
校庭開墾、宝塚小浜村に学校農場を作る。
真珠湾攻撃(アジア太平洋戦争 開始)。
1942年
(昭和17年)
政府の指示で教会関係者が学校経営に携われなくなり、八代に代わって、濱根岸太郎第4代理事長就任。  
1944年
(昭和19年)
4月、軍需工場への勤労動員開始。  
1945年
(昭和20年)
4月、「決戦教育措置要綱」実施により、授業停止。
6月5日、神戸大空襲で校舎(本館、東校舎など)焼失。
9月、授業再開。八代斌助が再び理事長(第5代)就任。
キリスト教教育の復活、強化を決議。礼拝・聖書の授業再開。
尼崎・神戸空襲
太平洋戦争 終戦
日本国憲法 公布
1947年
(昭和22年)
3月、教育基本法と学校教育法公布。
4月、神戸市灘区青谷町三丁目の松蔭高等女学校敷地内に、松蔭女子専門学校設立。(校長は浅野勇、学科は修業年限三年の英文科)第1回入学生22名。
学校教育法により、松蔭中学校設置。浅野勇高等女学校長が中学校長兼任。
12月、財団法人名を松蔭女子学院と改称。初代院長浅野勇就任。
教育基本法・学校教育法 公布
1948年
(昭和23年)
4月、女専第2代校長に、元日本聖公会九州地方部主教アーサー・リー就任。
被服科(修業年限2年)増設。
学校教育法により、松蔭高等学校設置。大河内孝高等女学校教頭、高等学校校長就任。
兵庫県庁舎(現兵庫県公館)竣工。
1949年
(昭和24年)
青谷寮の開設。
旧本館跡地に木造二階建校舎が完成。
1950年
(昭和25年)
4月、松蔭短期大学開設。英文科(入学定員40名、女子のみ)・キリスト教科(入学定員10名、男女共学)。初代学長アーサー・リー就任。 朝鮮戦争
1951年
(昭和26年)

3月、学校法人松蔭女子学院と改称。
4月、短大第2代学長レオノラ.E.リー就任。
9月、短大図書館竣工。

10月、三笠宮崇仁殿下を迎え、短大本館西校舎(鉄筋3階建)定礎式。

阪神電鉄株式会社が大阪出入橋-神戸三宮間の運転を開始。
1952年
(昭和27年)
5月27日、短大チャペル献堂式。 サンフランシスコ講和条約、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約 調印。

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西暦年(年号) 【神戸松蔭の歩みと歴史的背景事項】 【日本および神戸市の代表的な歴史事項】
1953年
(昭和28年)
4月、短大に服飾科増設(入学定員40名)。
10月、短大本館西校舎(鉄筋3階建)竣工。
 
1955年
(昭和30年)

青谷町4丁目560-4の松蔭中高の青谷寮(1949年開設)を短大・高校生の寮に改築(2階建、収容定員30名)。

淡路佐野寮 開設。

 
1956年
(昭和31年)
第2代院長と松蔭中学校、高等学校の第10代校長に、日本聖公会総裁主教八代斌助就任。  
1957年
(昭和32年)
9月19日、三笠宮殿下夫妻を迎え、中高体育館落成式、同窓会館地割式。  
1958年
(昭和33年)
3月、(中・高)本館南校舎が完成。  
1959年
(昭和34年)
4月、カンタベリー大主教フィッシャー博士夫妻を迎え、中高本館南校舎・同窓会館落成式。
9月、短大本館東校舎学舎(鉄筋4階建)竣工。
兵庫県本庁舎(現1号館)完成。
1960年
(昭和35年)
4月、短大に家政科増設(入学定員40名)。  
1962年
(昭和37年)

4月、短大に日本文学科増設(入学定員40名)。短大第3代学長有賀鐵太郎就任。中・高第11代校長安井彰生就任。

 
1963年
(昭和38年)
4月、家政科に食物専攻クラスと一般家政クラス開設。
12月、(中・高)本館中央校舎が完成。
神戸ポートタワー オープン。
1964年
(昭和39年)
4月、短大第4代学長太田一雄就任。 さんちかタウンオープン、東京オリンピック開催。
1966年
(昭和41年)

3月、(中・高)本館北校舎が完成。垂水学舎(神戸市垂水区多聞町火の蔵409)第一期工事竣工。

短大のキリスト教科と日本文学科廃科。

4月、松蔭女子学院大学開学。文学部、キリスト教学科(入学定員20名)英米文学科(入学定員40名)国文学科(入学定員40名)。初代学長八代斌助就任。

短大英文科に英文学クラスと英語クラス、服飾科に被服専攻クラスと被服工芸クラス開設。

舞子寮開設(1981年閉鎖)。

六甲山トンネル開通。
1967年
(昭和42年)

4月17日、垂水学舎第2期工事(図書館、講堂など)竣工。

神戸高速鉄道 開通。
1968年
(昭和43年)
4月、短大新館竣工。4月1日、大学第2代学長下程勇吉就任。  
1969年
(昭和44年)

4月1日、短大の学科名称を英文学科、服飾学科、家政学科に変更。

短大に卒業後の公開講座として研究科開設。
神仙寺寮開設(1975年閉鎖)。

サザエさん放映開始。
1970年
(昭和45年)
4月、大学第3代学長太田一雄就任(短大学長兼任)。
6月、松蔭女子学院寄附行為改訂。
大阪万国博覧会 開幕。
1971年
(昭和46年)
6月、太田一雄第6代理事長就任。短大・大学合同運営開始。 神戸市電(路面電車)廃止。
1973年
(昭和48年)
中・高東館校舎が完成する。  
1974年
(昭和49年)

4月、松蔭短期大学を松蔭女子学院短期大学と改称。短大英文学科の文学・語学クラスが垂水学舎へ移設。

9月、大学に体育館竣工。

 
1976年
(昭和51年)
4月、大学第4代、短大第5代学長友枝重俊就任。
大学の塩屋寮開設(1986年閉鎖)。
 
1978年
(昭和53年)
12月、六甲学舎起工式。 日中平和友好条約が調印。
1979年
(昭和54年)
3月、(中・高)南新館が完成する。  
1980年
(昭和55年)

3月、大学キリスト教学科廃科。

3月、(中・高)北新館が完成する。1階に図書館が完成し、4月に開設。

3月15日、青谷学舎チャペル(聖マリア礼拝堂)聖別解消式。六甲学舎定礎落成式。

4月、大学第5代、短大第6代学長友枝重俊(再選)。

六甲学舎第1期工事竣工。短大、青谷・垂水学舎から六甲学舎へ移転。

新交通システム・ポートライナー試運転開始。
1981年
(昭和56年)
4月、六甲新学舎第2期工事竣工。大学、垂水学舎から六甲学舎へ移転。
大学・短大の六甲寮と大石寮開設(大石寮は1986年閉鎖)。
4月13日、垂水チャペル祝別式。
9月、六甲新学舎第3期工事竣工。
11月9日、六甲統合学舎落成式。
新学歌制定。
神戸市西区が垂水区から分離、発足。
神戸ポートアイランド博覧会ポートピア'81開催。
1982年
(昭和57年)
6月、安井彰生第7代理事長就任。  

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西暦年(年号) 【神戸松蔭の歩みと歴史的背景事項】 【日本および神戸市の代表的な歴史事項】
1983年
(昭和58年)
六甲南寮 開設。
6月、友枝重俊第8代理事長就任(2004年3月。第13代まで)。
9月14日、チャペルにパイプオルガン完成。
東京ディズニーランド開園。
1984年
(昭和59年)
4月、大学第6代学長、短大第7代学長黒澤一晃就任。  
1985年
(昭和60年)
   
1986年
(昭和61年)
8月、六甲山セミナーハウス開設。
9月8日、11号館(短大教室棟・実験棟)竣工。
 
1987年
(昭和62年)
大学国文学科を国文学コースと日本語教育コースの2コース制とする。  
1988年
(昭和63年)

4月、大学第7代、短大第8代学長黒澤一晃(再任)。
4月、(中・高)第13代校長磯由美子就任。

4月、大学英米文学科を英語英米コース・情報言語コースの2コース制とする。

 
1989年
(平成1年)

3月、松蔭大学会館 竣工(大学・短大同窓会館を兼ねる)。

4月、松蔭大学会館にジャパン・スタディー・センター(JSC)開設。

平成に改元。
消費税導入
天安門事件
1991年
(平成3年)

4月、短大服飾学科を生活造形学科に、家政学科を生活科学科に改称。

7月6日、大山ロッジ竣工。

神戸ハーバーランド完成。
1992年
(平成4年)

3月27日、12号館(学生小ホール・教室棟)竣工。

4月、大学第8代学長・短大第9代学長友枝重俊就任(理事長兼任)。(中・高)第14代校長中塩健彦就任。

大学英米文学科を英語英米文学科と改称。大学国文学科に文芸コース開設。

 
1993年
(平成5年)
生活科学科生活文化コースを生活科学コースと改称。
7月1日、シンボルマーク制定。
 
1994年
(平成6年)

3月、(中・高)老朽化のため赤倉寮 閉鎖。

関西国際空港が開港。
1995年
(平成7年)

1月、(中・高)新体育館竣工祝福式。
阪神・淡路大震災で中高の生徒2名が死亡。新体育館を遺体安置所とする。
3月、(中・高)淡路佐野寮解体。
4月、校名を「神戸松蔭女子学院大学」・「神戸松蔭女子学院短期大学」と変更。
10月、校章のサービスマーク登録認可。

阪神淡路大震災
ヴィッセル神戸 始動。
第1回神戸ルミナリエ開催。
1996年
(平成8年)

4月、第3代院長に黒澤一晃就任。大学9代、短大10代学長友枝重俊就任(再任)。(中・高)第15代校長川崎紘平就任。

9月、(中・高)チャペル完成祝福式。

 
1997年
(平成9年)
  明石海峡大橋 開通。
1998年
(平成10年)

国文学科国語国文学コースを国文コース、日本語教育コースを日本語・日本語教育コースと改称。

12月、(中・高)新赤倉寮竣工祝福式。

 
1999年
(平成11年)

2月20日、学院発祥の地(中央区北野町1丁目)にモニュメント建立。

3月、13号館竣工。

神戸市営地下鉄海岸線 開通。
2000年
(平成12年)

4月、大学第10代・短大第11代学長荒井章三就任。
第4代院長に黒澤一晃就任(再任)。

大学院文学研究科(修士課程)英語学専攻・国語国文学専攻を開設。
大学文学部に総合文芸学科増設。
短大英文科を英語コミュニケーション学科と改称。

 
2001年
(平成13年)

2月、第2書庫増設。3月、14号館竣工。

4月、大学文学部に心理学科増設。「松蔭こころのケア・センター」開設。短大生活学科に食品衛生課程設置。

神戸ポートピアランド閉園。
2002年
(平成14年)

3月、松蔭六甲西寮 開設。

4月、英語英米文学コースを英語英米コースと改称。言語テクノロジーコース増設。

4月、大学院文学研究科に言語科学専攻(博士課程)設置。

神戸コレクション初公演(8月31日)
2004年
(平成16年)

4月、大学文学部心理学科を人間科学部心理学科に移設。
大学院文学研究科に心理学専攻(修士課程)増設。

大学第11代・短大第12代学長後藤博一就任。
第5代院長に荒井章三就任。第14代理事長に川崎紘平就任。

11月 飛び込みプール跡広場完成祝福式。
2005年1月に公募で「モーヴの広場」と名称決定。

 
2005年
(平成17年)
4月、大学人間科学部に生活学科(都市生活専攻・食物栄養専攻)設置。
短大を「神戸松蔭女子学院大学短期大学部」と名称変更。
新交通システム・ポートライナー 神戸空港延伸線 開業。
2006年
(平成18年)
10月、第6代院長に中村豊就任。 神戸空港(神戸マリンエア)開港。
2007年
(平成19年)
9月、短期大学部生活科学科(生活科学専攻、食物栄養専攻)を廃止。  
2008年
(平成20年)
4月、大学人間科学部に子ども発達学科、ファッション・ハウジングデザイン学科を設置。
大学第12代・短期大学部第13代学長 郡司隆男就任。
第15代理事長 川崎紘平就任(再任)、第7代院長 中村豊就任(再任)。
短期大学部英語コミュニケーション学科、生活造形学科の学生募集を停止。
 
2009年
(平成21年)
4月、大学人間科学部子ども発達学科が指定保育士養成施設として指定される。  
2011年
(平成23年)

英語英米文学科、国文学科の学生を募集停止。
英語学科、日本語日本文化学科を新設。

120周年事業として中高リニューアル工事が竣工。

東日本大震災

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